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黒い雨... [憤り]

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小学5年で終戦を迎えた沢村ミネ子さん(76)=仮名=は、当時、原因不明の鼻血に苦しめられた。滝のように出て止まらなくなり、夜通し洗面器で鼻血を受け続けることもしばしばだった。22歳ごろまで出血は続いた。

 23歳で結婚。その年に妊娠したが、診察した医師に「病気がある」と言われ、被爆体験について聞かれた。しかし、原爆投下時は爆心地から北約20キロの亀山村=現広島市安佐北区=居住。直後に雨を浴び、水が黒く変色した川に入った覚えはあるが、国の定める「黒い雨」の降雨地域ではない。

 
医師は堕胎を指示。沢村さんは「せっかく授かったのに…」と泣いて帰った。2人目の子供のときも同様に医師に止められて絶望、仕事に打ち込んで悔しさをごまかした。

 3人目を妊娠したときは病院に行かず、助産師に任せた。子供は無事生まれたが、産めなかった2人の子供のことがずっと沢村さんを苦しめている。

 「黒い雨」がもたらした健康被害について、広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)の冨田哲治助教は、被爆者の死亡リスクと爆心地からの方角との関係を統計学的に調査。直接被爆者のうち、昭和55年から平成9年までに死亡した9641人の被爆地点を解析したところ、爆心地北西にいた人の死亡リスクが高い傾向にあることが浮かび上がった。

 原爆炸裂時の初期放射線は、同心円状に放出されたとされている。爆心地から等距離で、屋内外などの条件が同一ならば、方角とは無関係に、被曝線量や死亡リスクも同等だと考えられてきた。それなのになぜ、「北西部で死亡リスクが高い」という偏りが生じるのか。

 「黒い雨」を降らせた雲は、発生時に広島湾方向から吹いていた風をうけて、爆心地から北西に向かう形で広がったとされる。冨田助教は「『偏り』の原因は、『黒い雨』が被爆後しばらくの間、もたらした残留放射能の影響とみるのが自然」と指摘。直接被爆の上にさらに「黒い雨」を浴びたり、北西部に住居があるなどして長時間、残留放射能にさらされたりする結果になり、健康被害を拡大したのではないか-としているのだ。

 黒い雨は、体験者の“心”にも深い傷を残していることをうかがわせる調査がある。広島市の「原子爆弾被爆実態調査研究会」は心的外傷後ストレス障害(PTSD)の傾向を分析するため、被爆者ら約2万人を対象に「被爆体験を思い出すと、当時の気持ちがぶり返すか」「体験を思い出させるものを避けようとしているか」-など22項目の度合いについて質問した。

 回答を被爆当時の状況で区分し、男女差や家計収入などの影響を考慮して、被爆していない人をゼロとして数値化。その結果、国が定める「大雨地域」の外で「黒い雨」に打たれたとする人の平均値は9.262で、6.651だった大雨地域内と比べなぜかPTSD傾向が強いことが判明。12.941だった直接被爆者より弱いものの、救護被爆者と同レベルであることがわかった。

 この結果について、研究会座長の神谷研二・原医研所長は「大雨地域外の人は国の援護を受けられないため不安が大きく、結果的に精神面の“健康不良”につながっている」と分析。降雨地域とされていないエリアで雨を浴びた沢村さんのようなケースについて「降雨地域を拡大するなど、調査結果を今後の援護施策に生かせるかどうかが行政に問われている」と話している。

8月5日10時27分 産経新聞配信から
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