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65年目の折り鶴 [憤り]

kumiko hiroshima.jpg65年目の広島 
例年にもまして、広島祈念式典が注目された
アメリカが初めて、要人を参列させたからだ
要人はルース駐日大使だった
当然のこと、投下責任の謝罪など無し

アメリカ国内では、60%の国民が、投下を肯定しているという
投下によって、「終戦を早めたのだ」が、その理由だ
エノラ・ゲイ搭乗員の遺族や退役軍人会の一部には、今回の式参列を痛烈に批判している

大量殺りくを犯した人間が、事の重大さに怯え、謝罪したことなどあまり聞かない
それからすれば、正義を自負するアメリカが、過ちを認めることは難しい

※写真は以下から
http://www.sanspo.com/geino/news/100807/gnj1008070502014-n1.htm

被爆者の中には、アメリカの名を聞くだけでも、身の毛がよだつ人々も多く存在する
その気持は、痛いほど理解出来る 
当たり前のことだからだ

しかし、今回の事実を考えると、胸のどこかに、痛みを感じていたアメリカ人が、
少し頭角を現し始めたのかもしれない

謝罪が無くとも、核廃絶に一歩、前進したと考えるのは短絡かな

写真はクミコが、自身のプロジェクトで集めた折り鶴を、平和記念公園に奉納するセレモニーの一場面だ
集まった鶴の数が、65,000羽だという
もの凄い数だ
一歌手の声掛けが、これだけ大きなうねりになったことは珍しい
平和を祈る人々の声が一つになった証かもしれない

しかし、65年が経った今、核廃絶の叫びもその方向性を変える時期とも考える
核の恐ろしさ、悲惨さを訴えるばかりではなく、
核を持った場合の不利益さ、不自由さを、
計算立てて各国に知らしめることも重要ではないのか

今のままでは、作った者、持った者勝ちになるばかりだ

人間関係が荒む現在社会において、感情論だけで、事は進まないことも現実である














写真はhttp://www.sanspo.com/より

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