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2B弾と原爆... [憤り]

nagasakinokane1.jpg私の子供の頃、2B弾という火薬のオモチャがあった
長さは4~5センチ位の棒状のもので、花火の一つだったと思う
ただし、美しい火花を散らすそれではなく、ただ、爆発するだけの代物であった
今も、あるのだろうか

人間の残酷さは、小さな子供にも潜んでいる
当時、その2B弾をカエルに突き刺して、爆発させる遊びが流行っていた
当然、悪ガキだった私も、実験と称して、仲間とそれで遊んだ  結果に対する興味でしかなかった

※写真は小倉にある「長崎の鐘」
http://pocket-park.cocolog-nifty.com/blog/2005/08/post_124a.html
今日9日は、長崎に原爆が投下された日だ
広島と同様、多くの死者と多くの被爆者を生んでしまった悪魔の日でもある

悪魔の2B弾(それも2種類)を手にしたアメリカは、カエルと同様、結果への興味しかなかったのだろう

人間という生き物は、本当にずる賢く、残酷だ それは、幼子であろうと大人であろうと、
共通に持ち合わせていることが、悲しく、そして恐ろしい

原爆は単に、カエルが人間に、置き換えられただけのことだったのかもしれない

ただ、絶対的に違うことは、子供ながらに、破裂したカエルの腹を見て、
恐怖をおぼえ、同時に微かな哀れみを感じたことである
それから、私と仲間は、その遊びを二度としなかった

以下は、大江健三郎さんのニューヨーク・タイムズ(電子版)への寄稿である
 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201008/2010080600652&rel=y&g=soc

ノーベル文学賞作家の大江健三郎氏は6日付の米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)への寄稿で、オバマ大統領のプラハ演説後に高まった反核ムードとは裏腹に、米国による日本への「核の傘」の抑止力強化が論じられているなどとして、現実との矛盾に憤りを示した。
 大江氏は、日本政府の「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」が、米国の「核の傘」の重要性を指摘し、非核三原則のうち「持ち込ませない」を見直すよう求めると報じられたと説明。沖縄県の米軍普天間飛行場の移設問題がいまだ解決していないことにも失望感を示した。
 また、米英仏代表が広島の原爆の平和記念式典に出席したことは「核なき世界に向けた小さな象徴的ステップに見えるかもしれない」としつつ、「反核の美辞麗句から一体どんな行動が生まれるのか」と疑問を呈した。
 その上で、「唯一の被爆国の国民として、核の傘の保護下で暮らすのが道義的責任であり、その傘を捨てるのは責任放棄だと言われたら、被爆者は怒りを覚えるのではないか」と訴えた。(2010/08/06-17:07)

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