SSブログ

初見参で ... [自然]

20211113_085333.jpg

20211113_090536.jpg

20211113_090844.jpg

20211113_091804.jpg

20211113_091929.jpg

20211113_092057.jpg

20211113_094051.jpg

20211113_094712.jpg

20211113_094805.jpg

20211113_094909.jpg

20211113_100457.jpg

20211113_101349.jpg

20211113_101500.jpg

20211113_102133.jpg

20211113_104602.jpg

20211113_104614.jpg

20211113_104640.jpg

あぁよく寝た。
久しぶりに熟睡できた。
ベランダへ出ると今日も秋晴れ。
今日も一日無事であるようにと富士山に挨拶。

行楽の秋。渋滞を覚悟で自宅を出発。
昨日の土曜日。乾徳山を目指して愛車を走らせた。
海老名から圏央道を走る。
案の定、相模原インター手前から大渋滞が始まった。
カーナビの示す、赤いラインが中央高速まで繋がる。
覚悟はしていたが、こりゃ駄目だと諦め、下道に降りた。
予定変更で、陣馬山からの縦走に切り替える。
ところが、下道ルートも真っ赤かだ。
棚に上げては言えないが、コロナが収まるとどうしてこうも人は出たがるのか。
どうしようもなければ、引き返せば良いと、相模湖駅を目指した。
とりあえず、止まり止まりで車は進む。
バス停の名に興味が湧いた。
「石老山入り口」。
地元では有名な山だが、自分は登ったことがない。
気にはなったが、それを素通りした。
しばらく走ると、旧「相模湖ピクニックランド」が現れる。
フムッと考えが頭を過る。
このまま進んでも、渋滞は続くし、陣馬山方面もハイカーで一杯だろう。
帰りの渋滞を想像すると気分が滅入った。
愛車をUターンさせて、旧「相模湖ピクニックランド」に滑り込む。
駐車料金は一日1000円也。
出入り口付近にある広大な駐車スペースは殆どガラガラ。

身支度を済ませ、「石老山」を目指す。
「石老山入り口」バス停から案内板を頼りに勾配のあるアスファルトを進んだ。
「相模湖病院」の裏手駐車場から登山道があるらしい。
しばらく不明瞭な細道を辿ると「顕鏡寺」に着いた。
香しい匂いが漂う。山門の前には夥しい数の銀杏が落ちていた。
菩提寺の「遊行寺」は、銀杏を拾う人で賑わうのに、ここでは珍しいことでもないのだろう。
「顕鏡寺」※https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/camera/report/1011147/1011175.html
より引用
大正から昭和にかけて活躍した歌人・柳原白蓮(やなぎわらびゃくれん)が眠る石老山顕鏡寺(緑区寸沢嵐)を訪れました。
石老山の登山道の中腹に佇むこのお寺は、平安時代の貞観18年(876年)、源海法師によって創建されたといわれる真言宗の古刹(こさつ)。境内には、岩窟をはじめ、樹齢数百年ともいわれる根が巨大なヘビのように露出していることから蛇木杉(じゃぼくすぎ)と呼ばれる杉、かながわ名木100選にも選ばれた大イチョウなどの古木もあり、神秘的な雰囲気がします。
夫が相模湖周遊をした際に石老山に登ったことをきっかけに、白蓮もこの地を訪れ、相模湖や丹沢の山々など自然あふれる景色にとても感動し、この地に住み始めたそうです。白蓮は家族を大切にしながら、執筆などを続け短歌の普及に力を入れたといいます。その生き方は、同じ女性として共感する人も多いと思います。今は、長年愛した石老山の墓所に最愛なる家族と静かに眠っています。
春には新緑が美しく、秋には紅葉、石老山では美しい景色を楽しめます。山頂では相模湖や丹沢の山々を一望できます。
遠き昔に思いを馳せながら。白蓮も見たであろう石老山の美しい景色がそこにはあります。

ところが、「顕鏡寺」からの本ルートは、2019年の台風19号で大規模崩落し、今も通行止め。
周囲を見渡しても、迂回できそうなルートは不明。
もう1個所、通行止めの看板を見つけたが、先には進めそう。
しかし、こうなりゃバリエーションで登るしかないと、適当な斜面に張り付いた。
掴もうとする枝の殆どが枯れ枝で役に立たない。土も岩もすぐに崩れる。
もうクライミング状態だ。斜度は60度前後だろうか。
足を踏ん張り、少しずつ登るのだが、柔らかい斜面はたちまち崩れる。
ピッケル代わりにトレッキングポールを突き刺し懸命に登った。
落ちれば怪我だ。
40mぐらいの急斜面を登り切り、本来の登山道に合流できた。
見つかれば、大目玉を食らうであろう蛮行であったが、楽しかった。

木段やガレ場を進むと、奇岩が現れ出す。
その殆どに由緒の説明板が立っている。
朱色の奥の院?には、可愛いお猿さん?が祀られていた。

途中大きな崩落で登山道が断ち切られていたが足早にそれを跨ぐ。
危険区域はここで終わり、山頂まで九十九折りを登る。
山頂に到着。ここまで約一時間。
クライミングもどきがなかったら、恐らく50分ぐらいの道中だっただろうか。

山頂には10人ぐらいの先行者が休憩していた。
眺望は乏しく、木立の合間に、富士山と丹沢山系が見えていた。
数枚の写真を撮影し、早めの昼食をとることに。
ここで、掛けていたはずのサングラスがないことに気付く。
登頂までは掛けていたのは確かなので、山頂で落としたか外したかである。
何回も往復し探したがどこにもない。
あぁ本日の遺失物はカルピスソーダにサングラスか ...
諦めて食事する。
貴重な一本だけの水を少し流し込む。あぁ美味い。
これと云って眺める景色もないからと下山支度にとりかかる。
ザックを背負い、最後にもう一度探してみようと、山頂までの狭い地面に目をこらした。
山頂標識付近をうろうろしていると4名の女性グループに写真撮影を頼まれた。
スマホを渡されたとき側のテーブルに何かある。
なんと我がサングラス。
声を掛けられなければ見過ごしていた。
撮影の礼を言われたが礼を言うのはこちらの方だ。
あぁ良かったと疲れが飛んだ。

来た道の本来は通行止めだ。
もうマナー違反は止めておこうとみんなが登ってくる推奨ルートで帰ることにした。
これで、周回したことになるし。
展望台下の分岐案内板には、下ろうと考えていた道の案内がない。
どうもこのルートも崩落で通行止めなのかもしれない。
しかし、結局この道を降りることにした。
急勾配の荒れた道だったが、危険はないようだった。
不明瞭の個所もピンクテープのお陰で不安は少ない。
ただ中盤以降は岩のガレ場になるから馴れていない人には危険がある。

薄暗い登山道が終わりキャンプ場に着いた。
小さなバンガローがあちこちに点在していた。
夏には大勢のキャンプ客で賑わうのだろう。
舗装された林道をしばらく進むと信号が見えてきた。
なんと、旧「ピクニックランド」の真ん前ではないか。
なんだか、ズーンと疲れが出た気分だった。
帰宅すると相棒のK君からLINEが。
故あって独身の彼はこの日彼女と武甲山に登ったらしい。
秩父の名山であるが自分は登る気がしない山だ。
以前秩父の芝桜公園を訪れたときこの山が見えた。
身を削られた山肌が痛々しかった。
神奈川県にもこんな山がいくつかある。
日本経済のために犠牲になってしまった山。
実際、初めて武甲山を眺めたとき思わず涙が落ちたことを記憶している。

「今日の歌」
生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに
胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさ
この星の片隅で めぐり会えた奇跡は
どんな宝石よりも たいせつな宝物
泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
そんな時そばにいて 寄り添うあなたの影
二人で歌えば 懐かしくよみがえる
ふるさとの夕焼けの 優しいあのぬくもり

「いのちの歌」より引用
作詞 Miyabi(竹内まりや)
作曲 松村崇継
歌唱 竹内まりや



共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。